これまでの街歩き

極東のサンフランシスコ
ウラジオストク/ ロシア

2018年11月20日(火) 初回放送

語り:イッセー尾形

撮影時期:2018年9月

街の「高麗人」

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 港を望む中央広場で開かれる青空市場。一角でキムチを売る高麗人の女性に出会います。高麗人は19世紀以降、朝鮮半島からロシア沿海州に移住してきた朝鮮系の人々で、数々の苦難を乗り越えてきました。
 20世紀初め、シベリア出兵でウラジオストクに上陸した日本軍から激しい弾圧を受けます。日本軍撤退後は、スターリンによって17万人が中央アジアに強制移住させられました。
 キムチ屋さんのお母さんは、その40年後の1970年代後半に移住先のウズベキスタンから故郷の村に帰還したそうです。いまでは一族で農園を経営しながら、代々伝えられてきたキムチの味を守り続けています。

街の「ケーブルカー」

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 中心街の東にケーブルカーの駅がありました。2台の車両はかわいらしい赤と青のレトロなデザイン。職員の女性によると、1962年に開通して以来、車両もケーブルの巻き上げ機も変わっていないそう。広いロシアでも、一般市民の足として使われているケーブルカーとしては唯一なのだとか。
 冷戦時代、当時の最高指導者フルシチョフが訪米の帰りにウラジオストクに立ち寄った際、「サンフランシスコのように坂が多い街なのに、なぜケーブルカーを走らせないのか」と言ったことがきっかけで、造られたそうです。以来、休まずに動き続けているというケーブルカーに、ソ連・ロシア的な実直さが感じられました。ケーブルカーで坂を上るにつれて、金角湾や橋が一望できます。

街の「ソ連グッズ店」

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 中心街の裏通りに、共産主義のシンボル、鎌と槌(つち)を描いた赤い看板のお店を発見。中をのぞくと、ソ連時代のグッズがずらり。食器や家電製品などの日用品から軍用品に至るまで、様々なものが並んでいます。
 店長さんは30代の男性で、こうしたモノを趣味で集めているうちに「過去の時代を生きた人々のぬくもりに触れられる場所をつくる」ことを思いつき、今年の夏に開店したのだそう。「ソ連時代に人々が生きて、学んで、恋をしたからこそ、僕たちの世代が生まれたのだから」と語ります。
 ソ連崩壊まで日本人にとって遠い街だったウラジオストク。でも、そこで人々のささやかな暮らしが確かに続いていたことを感じさせてくれる品々がありました。

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