これまでの街歩き

アムステルダム/ オランダ

2013年10月15日(火) 初回放送

語り:田畑智子

撮影時期:2013年7月

街の「市場の太陽」

Photo

 青空市場で出会ったおじさんが“太陽”と呼ぶのは真っ赤なパラソルの下、ハーモニカを吹きながら新聞を配る謎の男性。南米のスリナムからアムステルダムへやってきたという彼は、スリナムにいた頃、好き勝手にものを言う性格からか周囲の人々に怖がられ、いつも孤独だったと話します。でもアムステルダムに来て、たくさんの人に受け入れられたことで、今ではいつもビッグスマイル!現在失業中というおじさんも、“太陽”さんのスマイルにパワーをもらっているそうです。
 古くから、さまざまな人が行き交うアムステルダム。その懐の深さは、ずっと独りぼっちだった人を、笑顔でみんなをハッピーにする市場の太陽に変身させていました。

街の「大きな窓」

Photo

 ヨルダンの中を歩いていると、ショーウインドーのような大きな窓が並ぶ通りを発見しました。どうやらお店ではなく、普通のお家のよう…。そんな大きな窓の家に住む女性たちにお話を伺いました。
 アムステルダムでは、部屋の中が丸見えになるような大きな窓は普通とのこと。カーテンで隠すこともなければ、特別に部屋を片づけることもないそうです。ただし、もの珍しそうに中をのぞきこむ観光客がいたら、「わっ」っと飛び出して驚かせたりも…。ふだんは、ご近所さんと窓越しに世間話をして、大きな窓のある生活を楽しんでいます。大きな窓のおかげで、このあたりの人は皆、一日中外とつながっているのだとか。オープンマインドな雰囲気がアムステルダムらしいですね。

街の「悲しい歴史を伝えるプレート」

Photo

 街で出会ったおじいさんが、アムステルダムの悲しい歴史を教えてくれました。それは第二次世界大戦中のこと。オランダ人であるとともにユダヤ人でもあるおじいさんのご両親は、ナチス占領下での迫害から逃れるため、スイスへ渡りました。しかし彼らが再びアムステルダムに帰ったとき、ユダヤ人の友人たちは皆、亡くなっていたのです。
 おじいさんが案内してくれた運河沿いには、迫害によって命を落としたユダヤ人の人々の名が刻まれたプレートが並んでいます。まだ幼い子どもの名も多く刻まれ、この悲しい歴史を今に伝えています。さまざまな国籍、文化をもつ人たちが共に暮らしていくコスモポリタンタウンであるからこそ、決して忘れてはならない歴史です。

※NHKサイトを離れます
ページトップ