これまでの街歩き

モンペリエ/ フランス

2007年8月6日(月) 初回放送

語り:浅野和之

撮影時期:2007年5月

世界地図

地図

場所

モンペリエはワインの産地として有名な南仏ラングドック=ルシヨン地方の首府で、フランスで8番目に大きな都市です。
11世紀に大きな集落となり、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼の道がこの街を通るため、巡礼者を泊める宿屋や商店、居酒屋などが多く存在しました。地中海に面した地の利を生かし、塩商人をはじめとする多くの商人が行き交う貿易都市として発展。
更に13世紀にはモンペリエ大学が創設され、学生人口の増加、それに伴う商業の発展などで町は大いに栄え、13世紀末にはフランス王国内でパリに次ぐ2番目の規模の都市となりました。
中世の面影を残す路地や邸宅、サンピエール大聖堂や凱旋門、古代ローマの水道橋を真似た18世紀の水道橋など見どころが多く、地中海に近いこともあって、現在では南仏観光の拠点となっています。

Information

サンロック教会

モンペリエの街を通る巡礼は、必ず旧市街にあるサンロック教会に立ち寄ります。
聖ヤコブの遺骨が眠るとされるスペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼は11世紀に始まり、最盛期には年間50万人もの人が巡礼にでかけました。巡礼がモンペリエを通るようになったのは12世紀頃です。そのおかげで街は大きく発展しました。
フランス国内には4本の巡礼の道があり、モンペリエを通るのは最も南の道です。この教会の名のもとになった聖人ロックも巡礼の一人でした。教会に残るロックの像は、手には杖を持ち、マントには帆立貝をつけています。帆立貝は昔から「誕生」や「癒し」の象徴であったことから、巡礼の通行証がわりになったのです。

モンペリエ大学医学部

モンペリエ大学の医学部は、今から800年前に創設された、ヨーロッパ最古の医学部です。1563年、ここには二人の有名な学生が在籍していました。一人は『ガルガンチュワ物語』で有名な大詩人ラブレー、そしてもう一人は予言者ノストラダムスです。
医学部には毎年1000人の新入生が入学します。でも、2年に進級できるのは、そのうちたったの200人。たいへん厳しいことでも有名です。
大学内にはナポレオンが寄贈した古代ギリシアの医学者、ヒポクラテスの像があります。すべての学業を終えた者だけが、このヒポクラテス像の前で誓いをたて、医師となることができるのです。ちなみに、ラブレーは見事卒業しましたが、ノストラダムスは落第しました。

モンペリエのオペラ座

旧市街の中心的存在であるコメディー広場に面したモンペリエのオペラ座。
実はこのオペラ座は、パリのオペラ座を模倣したものなのです。19世紀、パリにあこがれた市長が、パリ・オペラ座を設計したシャルル・ガルニエの弟子に作らせました。大きさはパリのほぼ半分しかなく、収容人員は1200人とかなりこじんまりしていますが、舞台も客席も階段もパリにそっくりそのままです。

※NHKサイトを離れます
ページトップ