これまでの街歩き

ビリニュス/ リトアニア

2010年7月25日(日) 初回放送

語り:牧瀬里穂

撮影時期:2010年5月

世界地図

地図

場所

リトアニアは、バルト三国のほかの2か国、エストニア、ラトビアと同様、長く波乱に満ちた歴史を持っています。13世紀にリトアニア大公国が成立、その後、ポーランドと連合し大国に発展しますが、18世紀にはロシアに併合。1918年に一度独立を勝ち取りますが、1940年にソ連に再び編入されます。最終的に独立を果たしたのは1991年でした。
バルト三国のほかの首都(リガ・タリン)はバルト海沿岸にありますが、ビリニュスだけが内陸部にあり、緑に囲まれていてどこかのんびりとした雰囲気をつくり出しています。
石畳の道が不規則に続く旧市街内には、公共交通がほとんどなく、ゆっくりと散歩を楽しめます。旧市街をさまよい歩いてこそ出会う雰囲気のある裏通りや、迷路のような入り組んだ路地、そこに並ぶカラフルな家並みはまさにビリニュス観光の醍醐味(だいごみ)です。内陸部に位置するため、冬は長く寒く、春秋は短い。涼しく過ごしやすい夏は、観光客が最も多く訪れる時期です。

Information

トラカイ城

ビリニュス以前にリトアニアの首都が置かれていたトラカイ。その中心がトラカイ城です。北ヨーロッパで唯一残された、水上に築かれた城で赤レンガの古城が水面に映える光景は、訪れる人々を魅了してやみません。ここに城ができたのは13世紀。その後、何度も改築・補強されてきました。一時は荒れ果てましたが、1961年に復元作業が始められ、今ではかつての姿を取り戻しています。城内は博物館となっていて、堀にかかる跳ね橋や城壁の中の細いらせん階段などを目にすることができます。
トラカイ城は、リトアニアとドイツ騎士団の間で激しい戦いが繰り広げられた場所でもあります。リトアニアは、ヨーロッパで最後の非キリスト教国でした。異教徒の国の制圧を目指すドイツ騎士団の攻撃を何度も受けました。激しい攻防の末、そのドイツ側のもくろみは失敗に終わりました。リトアニアは14世紀半ばになってポーランドと連合国家をつくり、これを契機にキリスト教を受け入れたのです。トラカイ城は民族の勇気のシンボルなのです。

伝統料理“ツェペリナイ”

リトアニア特産のジャガイモと豚肉を使った伝統料理「ツェペリナイ」を紹介しましょう。リトアニアにおいてジャガイモ料理は、レストランのメニューに項目が独立してあるほどポピュラーなもの。中でも代表的なのが「ツェペリナイ」です。ドイツの有名な飛行船「ツェペリン号」に形が似ていることから、「ツェペリナイ」と呼ばれるようになったといいます。
一番の特徴は、生のジャガイモをすりおろすことにより得られるデンプンのモチモチ感。この団子のような食感が、中の豚肉とサワークリームのソースと相まって絶妙な味になります。地元では中の肉団子にチーズを入れたり、「ツェペリナイ」自体を油で揚げたりと、具の中身や調理法を変えて、アレンジを楽しんでいます。

十字架の丘

リトアニアは十字架に対する信仰が深く、“十字架の国”と呼ばれるほど。「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」は、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。そして、信仰の深さが最も顕著に見られる場所が、“十字架の丘”です。1831年、帝政ロシアに対する蜂起(ほうき)のあと、処刑された人々のために十字架が建てられたのが始まりといわれています。その後、抑圧された民族・宗教の象徴として扱われるようになり、ことあるごとに十字架が建てられるようになりました。
第二次世界大戦後の旧ソ連支配の時代、KGB(ソ連国家保安委員会)と軍は、この丘をブルドーザーなどで3度にわたって破壊しました。しかし、その度に十字架の丘はよみがえりました。
高さ5m以上もある芸術的な十字架から、鈴なりにかけられた小さなロザリオまで、その数は5万とも10万ともいわれています。近年では十字架建立がますます盛んになってきており、世界中から観光客が訪れ、それぞれの地から運んできた十字架を残しています。

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