これまでの街歩き

ロンダ/ スペイン

2011年5月25日(水) 初回放送

語り:松田洋治

撮影時期:2011年3月

世界地図

地図

場所

ロンダはスペイン南部、アンダルシア州マラガ県の内陸にある街です。標高700mの断崖絶壁の上に広がる風光明美な土地で、アンダルシア有数の観光地となっています。グアダレビン川が流れる深い峡谷によって分断された旧市街と新市街は、三つの橋でつながっています。中でもロンダの象徴として知られる新橋(ヌエボ橋)の建設は1751年に始まり、42年の歳月を経て完成しました。大小のアーチの組み合わせでできた石造りの橋で、その高さはなんと98mもあり、当時の建築技術の高さを物語っています。
ロンダの歴史は古く、近隣の洞窟からは旧石器時代の壁画が、また旧市街でも新石器時代の遺跡が発見されており、有史以前からこの地に人が定住していたことがわかっています。詩人リルケ、文豪ヘミングウェイ、そしてオーソン・ウェルズなど、数々の著名人もこの街を愛し、足しげく通ったと言われています。

Information

闘牛学校

1785年に開幕したロンダの闘牛場は、スペインで最も古いもののひとつ。華麗な衣装に身を包み、ムレータと呼ばれる赤い布を翻して牛に立ち向かう近代闘牛は、ここロンダで生まれました。毎年9月にはスペインでも超一流の闘牛士たちがロンダの闘牛場に集まり、その技を競い合います。ロンダっ子たちは熱狂し、街は闘牛一色に染まるのだそうです。
そんなロンダで、男の子たちの憧れの職業といえば、当然のことながら闘牛士。街の闘牛学校では、現在7歳から21歳までの21人が幼い頃から訓練を積んでいます。まずはムレータの持ち方から。そして幼い頃から子牛の前に立ちます。闘牛士になるには体格や年齢は関係ありません。いちばん大事なのは闘牛が好きであること。そして、勇気です。
日本のみなさんもスペインを訪れた際には闘牛場に足を運んで、ロンダの闘牛学校で学んだ若き闘牛士たちの勇姿をご覧になってください。

スペインギターの父

16世紀の終わりに、それまで4本の弦しか持たなかったギターに5番目の弦(E)を加えたのが、ロンダ出身のビセンテ・エスピネル。楽器の表現能力を大きく向上させ、現在のギターの礎を築いた人物として音楽史に名を残す彼は、1550年に生まれました。“スペインギターの父”は、生っ粋のロンダっ子というわけです。
「5番目の弦」考案の他にも、詩人、作家、音楽家、冒険家、司祭などさまざまな分野で活躍したエスピネルの名は、街の通りや劇場の名前として使われています。今回、朝にお邪魔したバルがある街のメインストリートも、じつは「エスピネル通り」。また、旧市街の街角にはその偉業をたたえる石像が建てられています。ロンダが生んだ偉人のひとりとして、今も街の人々に愛され続けているのです。

山賊博物館

ロンダには世界でここだけという博物館があります。その名も「山賊博物館」!地元の信用金庫で働くヘススさんが、たったひとりで20年かけて集めたコレクションを展示するために建てた博物館です。スペインの歴史に山賊が登場するのは17世紀のこと。名をはせたのはアンダルシア地方、特にここロンダの山賊たちでした。なぜならロンダは交易のルート上にありながらきわめて地形が険しく、山賊にとっては襲いやすいだけでなく、身を隠すにも絶好の場所だったからです。
20世紀前半まで山賊は存在していました。「山賊」と聞くと、なんだか恐ろしい人たちだと思われるかもしれませんが、実はそうとも限りません。中には「スペインのロビンフッド」の異名を持つ、エル・テンプラニージョのような者もいました。彼は支配者階級から金品を奪い、貧しい者に分け与えた、みんなのヒーローだったのです。山賊の歴史は学校の教科書には載っていません。しかし、人々は口づてに、あるいは紙芝居やコミックなどの読み物を通して、彼らの物語を語り継いできました。
世界唯一の「山賊博物館」で、スペインのもうひとつの歴史にふれてください。

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