これまでの街歩き

ルッカ/ イタリア

2011年7月13日(水) 初回放送

語り:桂文珍

撮影時期:2011年5月

世界地図

地図

場所

ルッカは、人口およそ8万2000のトスカーナ州ルッカ県の県都です。旧市街の人口はおよそ9000。16~17世紀のルネサンス期に建設された、高さ12mの城壁がそのまま残っていることから「城壁の町」として有名です。現在、城壁は4kmにわたり、その上は街のパノラマが楽しめる遊歩道となっています。
ピサからは列車で30分、フィレンツェからも車で1時間と近く、小さいながらも、地域経済の中心的な存在で、活気があります。
「ルッカ」とは湿地帯の意味。山からの湧き水が街に流れこみ、地元の人たちを潤しています。プッチーニを始め多くの芸術家を育んだ街としても有名です。

Information

街の歴史

ルッカに到着して最初に目に付くのが、旧市街を囲む城壁。このように完全な形で残っている例はイタリアの中でも少なく、ルッカの人たちの自慢です。
城壁の起源は古代ローマ時代までさかのぼります。当時の城壁は、碁盤目の四角い街に沿ってつくられました。中世には新しい城壁と水路が、そしてルネサンス時代には今のルッカを囲む頑丈な城壁が建設されたのです。
ルッカには世界的にとても珍しい形で残っている遺跡があります。古代ローマ時代につくられた「円形劇場広場」です。ここは、ローマのコロシアムと同じように、人間と動物の死闘を見物する野外施設でした。広場の外側の入口に劇場の門があり、大きな大理石がきれいに残っています。中世には、アーチの下の空間をレンガの壁で埋めて、回廊だった場所に部屋がつくられました。円形劇場はその土台を生かしたまま集合住宅となり今でも人々が生活しています。
中世にさまざまな市場が開かれた丸い広場には、今もたくさんのお店が並んでいます。劇場の壁を生かしたディスプレイも。歴史ある広場で、今も昔も変わらず、人々の営みがあることが感じられます。

ルッカ温泉

ルッカから車で30分。旧市街の水路にも流れこむセルキオ川の上流には、日本人も大好きなあの場所があります。その名は「バーニ ディ ルッカ」。バーニとはイタリア語でお風呂のこと。つまり、“ルッカ温泉”です。この温泉は古代ローマ時代に開かれ、その後、サナトリウムに発展しました。詩人のハイネ、音楽家のリストやプッチーニも常連客だったそうです。今は療養だけでなく、スパとして人気があります。
ここの名物は2つの洞窟風呂。天然のサウナです。源泉は55度ととても熱いので、直接お湯に入ったらやけどしてしまいます。洞窟の中に充満するミネラルたっぷりの湯気にあたって、肺や呼吸器官など、身体の内側まで癒していくのです。あっという間に汗をかいて、もちろんお肌もすべすべ!
さらに上流には、地元の人だけが知っている穴場が。小さな湖のほとりに温水が湧いているのです。まさにイタリアの露天風呂。お湯の温度は40度前後で、ちょうどいい湯加減ですが、シャワーの文化をもつイタリアの人たちは、お湯にはつかりません。みんな順番を守って“浴びて”います。効能は関節痛やリューマチ、二日酔いに犬のノミ取りまでなんでもござれ!?ルッカを訪れた際は、少し足を延ばして、ルッカ温泉で旅の疲れを癒やすのもよいかもしれません。

プッチーニ

かの有名なオペラ「蝶々夫人」の作曲家で知られるジャコモ・プッチーニは、1858年にルッカで生まれました。城壁に囲まれた旧市街の真ん中にあるアパートの3階がプッチーニの生家でした。5代続く音楽家の家に生まれたプッチーニですが、音楽教師をしていた父を5歳の時に亡くし、苦しい生活を強いられました。ルッカの教会でオルガン弾きの仕事をしながら、22歳までこの家で暮らしました。やがてヴェルディのオペラに触発され、オペラの作曲家となったプッチーニは「ラ・ボエーム」や「蝶々夫人」、「トゥーランドット」など、世界的に知られる傑作を次々と生み出したのです。プッチーニの父親の葬儀が行われた聖ジョバンニ教会では毎晩、プッチーニのオペラコンサートが開かれています。教会でオペラとは、「100の教会の街」ルッカならではの催しですね。高いドームに歌声が響いて、劇場とは違った雰囲気です。プッチーニの故郷ルッカで、オペラを楽しんではいかがですか?

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