これまでの街歩き

露日中の交錯する街
大連/ 中国

2016年12月13日(火) 初回放送

語り:中嶋朋子

撮影時期:2016年10月

世界地図

地図

場所

 大連は、中国・東北三省のうち最も南にある遼寧省の港町。日清戦争後の賠償や、その後の「三国干渉」で知られる遼東半島の先端に位置し、人口は600万。19世紀末にロシアが都市建設を始め、日露戦争後に日本がそっくり引き継いだので、中国では「若い」街になります。
 日露戦争の激戦地・旅順は、いまでは大連の市域の一部になっています。戦後は満州から日本人が引き揚げる基地となり、また旧ソ連軍が一時駐屯していました。改革開放後は「ファッションの街」や「サッカーの街」、経済発展の著しさから「北の香港」とも呼ばれます。経済を中心とした日本との関係も深く、日本の「存在感の高さ」では中国の中でもトップクラス(JETRO調べ)。市域は半島の両側に渡るため、中国の中では珍しく、海に落ちる夕日を眺めることの出来る街でもあります。

Information

建築でたどる大連の歴史

 120年ほどの短い歴史の中で、ロシア・日本・中国と統治が変遷した大連は、各時代の建築が残る、生きた博物館です。
  元々あった漁村「青泥窪」に19世紀末、目をつけたのがロシア。シベリア鉄道の支線・東清鉄道を引き、商業都市を計画・着工したのです。都市は、ロシア語で「遠い」を意味する「ダーリニー」と命名されました。この時代の建築には、大連美術館や、ダーリニー市庁舎・市長公邸などがあります。
  1904年、日露戦争で大連を占領した日本が、代わって都市建設を続け、大連と改称。日本時代の建築には、大連駅や、中山広場を囲む重厚な建築群があります。中でも大連賓館は、「満州一」の格式を誇った当時の雰囲気を今に伝えています。

食べ歩きグルメ

街歩きしながら手軽に楽しめるご当地の味を、厳選してご紹介!

 今回、案内してくれるのは観光ガイドの楊芳さん。大連の名物は何と言っても海鮮料理ですが、「ユニークな」ものを探そうとすると、意外と難しいのです。新鮮な海鮮が豊富だけあって、料理も炒める・焼く・蒸す等のシンプルなものが多いためですが、街を知り尽くしている楊さん、大連ならではの海鮮料理ベスト3を紹介してくれました。

海鮮粥(かいせんがゆ)

いま大連で流行中の新メニュー。テーブルに作り込まれた特製の鍋に米を入れ、中蓋をして、その上で、お好みの貝やエビ・カニ等を種類別に蒸していきます。セットした分数だけ、鍋の底から蒸気が出る仕組み。次々と蒸し上がる海鮮を食べていく間に、鍋の米は、上から落ちる海鮮のエキスで、絶品のおかゆが出来る仕組みです。

咸魚餅子(シエンユービンズ)

由緒ある海鮮料理店なら、必ずメニューにある大連のソウル・フード。塩漬けの魚(カレイやサワラ等)を揚げたり焼いたりし、とうもろこしの粉で作った団子を揚げたり焼いたりして、一緒に盛りつけるだけの料理です。素朴な味同士が絶妙に響き合い、後を引く味わい。もともと、大連の漁師さんたちの賄い料理だったとも言われます。

海鮮焖子(かいせんめんず)

焖子とは、大連や山東省で食べられる食材で、さつまいものデンプン等を固めたゼリー。これを切ったりちぎったりして、炒めたり揚げたりして食べます。味付けはごまダレが一般的ですが、これにゆでたり炒めたりした海鮮を和えるのが大連流。焖子の焦げ目のカリカリした食感と、海鮮のうま味がとても良く合います。

ちょっとより道

街からちょっと足をのばして、イチ押しの観光スポットを訪ねます!

奇岩と水の別世界 冰峪溝(ひょうよくこう)
語り:池田鉄洋

 冰峪溝は、大連から北東へ車で3時間。「岩と水が織り成す絶景」と聞いて訪ねると、入場門にはテーマパークのような小ぎれいな建物。その前では魚とり用の網を売っています。「あれ、絶景を楽しみに来たんだけど……」と思いながらもゲートをくぐると、奇岩がそそり立つ湖がお出迎え。船に乗って、仙人が住んでいそうな景色を堪能します。
 途中、男女が寄り添っているように見える岩がシャッターポイント。子宝祈願の御利益があるんだとかで、熱心に祈る夫婦は「結婚10年の娘が、まだなので……」と話していました。
 奥に進むと、湖の上を渡る橋が続き、わきにそびえる岩壁の迫力に目を奪われます。と、さらに目を引いたのが、ロープにぶら下がって湖面の上空を滑るアトラクション。やってみると、爽快さもつかの間、どんどん増すスピードに「どうやって止まるの?」と増す恐怖。到着点で係員が2人がかりで手で止めるという素朴な仕組みでした。
 絶景の観光地といえども、さまざまなアトラクションを用意する中国流の楽しみ方がありました。

※NHKサイトを離れます
ページトップ