これまでの街歩き

寧波/ 中国

2010年8月1日(日) 初回放送

語り:矢崎 滋

撮影時期:2010年6月

世界地図

地図

場所

寧波は東シナ海に面した浙江省の東部、上海から南へおよそ130kmのところにある港町です。人口はおよそ600万。古くからアジア諸国との交易で栄え、唐の時代には、日本の留学生や留学僧を乗せた遣唐使船も、この寧波に入港したことがありました。また、室町幕府との日明貿易の拠点であったり、「寧波の乱」の舞台となるなど、日本史にも何度も登場する街でもあります。
アヘン戦争以降は「五大通商外港」のひとつになりました。現在は、国際貿易港をもつ中国屈指の港湾都市として、1人当たりの平均収入・消費レベルが中国国内で5本の指に入るほど、経済発展を遂げています。寧波港は、世界79か国の400以上の港と通航しています。

Information

寧波港の歴史

寧波港は今からおよそ1200年前、唐の時代に国内の物資を扱う港として開かれました。その後は、日本や朝鮮半島などアジア諸国との交易の拠点として発展していきます。寧波では、造船技術も最先端。宋の時代には、船底に「竜骨構造」を取り入れるなど、西洋にも負けない技術を誇っていました。
アヘン戦争後の南京条約締結によって開港され、イギリスやアメリカなど10か国以上の国々が外灘に貿易の拠点を作り、その周りには中国の貿易商が多く暮らすようになりました。
1973年、寧波港は外灘から30km離れた海辺に移されました。2009年現在、貨物取扱量は中国では上海に次いで2番目、世界でも4番目となっています。一方、かつての港・外灘は、観光地として再び注目されています。

寧波料理

寧波にいらしたら、本格寧波料理をどうぞ。名物「氷糖甲魚(氷砂糖スッポン)」は、新鮮なスッポンを角切りにして、ショウガやネギ、ニンニクと一緒にいため、紹興酒、しょう油お酢などで味つけをします。ここで氷砂糖をたっぷり入れるのがこの料理のポイント!
氷砂糖が溶けたら、片栗粉でとろみをつけ、皿に盛りつけます。最後にもう一度、氷砂糖をかけて完成です。スッポンは体を熱くし、氷砂糖には冷ます作用があり、お互いがお互いを中和させるんです。あまずっぱい味、やみつきになりますよ!
清代、ある学生が北京へ科挙試験を受けに行く途中に、寧波の料理店でこの氷砂糖スッポンを食べました。その効果か?彼はなんと状元(科挙試験の一位)で合格。喜んで帰る途中、また店に寄り、店名を「状元楼」と記したとのこと。今でも店内には唐代から清代の状元の人たちの名前が書かれているそうです。縁起のいい料理なんですね。
寧波で一番人気のお菓子は「寧波だんご」です。あんは黒ゴマとラード、砂糖にモクセイの花。もち米の粉で作った皮で丁寧に包みます。熱湯で3分ほどゆで、浮かんできたらできあがり。もちもちとした食感と、口に入れた時のとろけるような甘い感覚が自慢です。

天一閣蔵書楼

天一閣は450年前、明の時代につくられた書庫です。建てたのは明代の役人、範欽。さまざまな地方で勤務した彼は、各地から多くの書籍を持ち帰りました。天一閣は、個人の書庫としてはアジアで最古、世界でも3番目に古いものといわれています。
範欽は火事を防ぐため、書庫内で火を使うことを厳しく禁じました。今も電気を使用せず、懐中電灯を使っているところもあるんです。ここに収蔵されている書籍は30万点あまり。明代の地方史や役人の履歴書など、当時を知る貴重なものばかりです。
たとえば元の時代の医学書「針灸(しんきゅう)四書」は、世界で最も古い針灸の本といわれています。宋代の法律書「官品令」は、遣唐使が持ち帰った本と共通している点が多いことから、日本の法律の歴史を知る上で重要な資料なんだそうです。この本が見つかったとき、日本からも多くの専門家がやって来ました。
また寧波は麻雀(マージャン)発祥の地といわれており、天一閣には麻将(麻雀)博物館も併設されています。麻雀博物館だけあって、正面の建物の名前は平和(ピンフ)堂。敷石の模様は麻雀牌を模しており、横には巨大なサイコロと得点棒も。平和堂の中には、さまざまな麻雀牌が展示してありました。

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