これまでの街歩き

厦門(アモイ) コロンス島(鼓浪嶼)/ 中国

2006年5月2日(火) 初回放送

語り:中村梅雀

撮影時期:2006年3月

世界地図

地図

場所

明の時代から貿易で栄えた厦門(アモイ)は中国南部、福建省の港町です。アヘン戦争の後、南京条約によって厦門が開港させられると、港のすぐ沖に浮かぶコロンス島は「共同租界」に定められました。中国との貿易に群がった列強諸国が次々に拠点を構え、各国の領事館、学校や教会などが建てられ、数多くの外国人や豊かな華僑たちが移り住みました。現在はごく普通の住宅地として1万6000人ほどの市民が暮らしていますが、島には当時の西洋風の屋敷が数多く残っているため、近年、観光地として整備が進められるようになりました。今では福建省を代表する観光地として、かつての華やかな屋敷町を見学するツアーが国内の観光客の人気を集めています。

Information

コロンス島の豪華な建築は今

共同租界の時代、豊かな西洋文化の島だったコロンス島は、貿易で財を成した華僑たちを魅了しました。そして、ここに豪華な別荘を建てることが彼らのステータスシンボルとなったのです。しかし、日本軍の占領、中国の建国、文化大革命と続く歴史の激動の中で、外国人も華僑もこの島を去り、豪華な屋敷は、庶民の共同住宅などに改装されました。現在のコロンス島の街並みは、華僑たちの華やかな夢のあとなのです。改革開放の時代を迎えて、かつての華やかな島を蘇らせようという取り組みも始まっていますが、これから島はどう変わってゆくのでしょうか。

音楽の島が生んだ名ピアニスト

コロンス島が「音楽の島」と呼ばれる理由はピアノの普及率だけではありません。この島からは中国を代表する音楽家が何人も育っているのです。その代表がピアニストの殷承宗。外国文化の香るこの島で生まれ育った彼は、幼いときから教会でピアノを学び、才能を開花させました。文化大革命時代に作られたピアノ協奏曲「黄河」は彼の代表作です。現在はアメリカで暮らしていますが、年に一度、コロンス島に帰ってきて、島の子供たちにピアノのレッスンをしています。

我らコロンス島消防隊

自動車の禁止されているコロンス島。しかし、特別に許可されているのがコロンス島消防隊に配備されている消防車。狭い道を走るために、4輪駆動の乗用車を改造して、鮮やかな赤に塗った特別仕様です。最近活躍したのは2年前の火事のときでしたが、火災はいつ起こるかわかりません。歴史ある屋敷町はコロンス島の貴重な財産。これを火災から守るために24時間体制でがんばっています。

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