これまでの街歩き

ブラショフ/ ルーマニア

2009年10月29日(木) 初回放送

語り:松田洋治

撮影時期:2009年7月

世界地図

地図

場所

ルーマニアのほぼ中心に位置する、トランシルバニア地方の都市「ブラショフ」は、12世紀から13世紀にかけて移り住んできたドイツ人によってつくられました。旧市街は、スケイ門によって二分化され、長い間、門の内側には主にドイツ人が暮らしていました。18世紀まで、ルーマニア人は門の外側のスケイ地区に暮らし、街の中心部へ行くためには特別な許可が必要でした。
ブラショフは職人の街として発展しました。18世紀末の記録によると、ギルド(同業者組合)の数は43に達し、織物や金属加工をはじめ、多種多様な製品を生産していました。その伝統は今に受け継がれ、ルーマニアを代表する商工業の街となっています。
また、カルパチア山脈を背にし、標高600mの高原に位置するため、夏は避暑地として、冬はウィンタースポーツの拠点としてにぎわいを見せます。

Information

ジャム&パパナシ

ブラショフの主婦は、夏の間に新鮮な果物でジャムを作り、冬場のビタミン補給に役立てるのが伝統となっています。主な材料はブルーベリーやラズベリーなど。砂糖の量は果物の半分を目安とし、他にとろみを与えるゼラチンパウダーを加え、3時間ほど煮込んで作ります。
そんなジャムを使ったスイーツが、ブラショフ名物「パパナシ」。揚げたドーナツにサワークリームをのせ、その上にたっぷりとジャムをかけるスイーツで、ドーナツの生地にカッテージチーズをふんだんに加えることが、味の決め手となります。皆さんも、おいしいジャムが出来たら是非、パパナシにも挑戦してみてくださいね。

プレジュメル要塞教会

ブラショフ近郊のプレジュメルに、世界遺産に登録されている「要塞(ようさい)教会」があります。14世紀から15世紀にかけて建設されたこの教会は、村人が戦いのときに立てこもる避難所であり、武力を持って抵抗する砦(とりで)でした。トランシルバニア地方は、オスマン帝国がヨーロッパへ攻め入るときの通り道だったため、1600年ごろには、こうした要塞教会が600か所もありました。
砦には250の部屋が備えられ、村人全員を収容することができました。部屋の扉の下の方には小さな穴が開けられています。それは猫の出入り口。猫はネズミから穀物を守る大切な役目を担っていたのです。砦には、鉄砲を撃つための穴や、敵に熱した油を浴びせる穴など、さまざまな仕掛けが備わっています。なかでも、鉄砲を連射できる装置は「死のオルガン」と呼ばれ、敵に恐れられていました。オスマン軍の激しい攻撃を何度もはねのけた堅固な要塞、是非一度訪れてみてください。

学校博物館

聖ニコラエ教会(スケイ地区)の敷地内にある建物は、ルーマニアでもっとも古い学校のひとつ。
現在は学校博物館として、教科書などおよそ6000冊を保管し、その一部が展示されています。一番貴重なのは、11世紀の教科書。現存する最も古い教科書の一つで、スラブ語で書かれています。
ブラショフは、ドイツ人が来る前は、長い間スラブ民族の強い影響を受けていました。当時、教会のミサはスラブ語で行われ、学校は教会の施設だったので、授業もスラブ語でした。教科書にルーマニア語が書かれるようになるのは16世紀のことです。スラブ文化の影響から一歩抜け出し、新しい時代の幕開けを伝えています。
200年前の机やイスが残る教室では、18世紀の地理の教科書を見ることができます。そこには日本のこともこんな風に書かれています。
「日本はとても山が多い。人々は米とお茶を好む。とても賢い。年長者を敬う精神を重んじる。ハラキリという方法で、連帯責任を果たす」

※NHKサイトを離れます
ページトップ