これまでの街歩き

シビウ/ ルーマニア

2011年11月3日(木) 初回放送

語り:八嶋智人

撮影時期:2011年9月

世界地図

地図

場所

 シビウは人口およそ17万、ルーマニア・トランシルバニア地方南部の古都です。街の発祥は12世紀、ドイツ人による植民が始まった時代にさかのぼります。彼らは農業中心だったこの地方に商工業を持ち込み、西欧との交易で街を発展させていきました。19世紀にはトランシルバニア地方の首都として、交易だけでなく、政治・文化の中心地としても栄えていきます。
 街には、かつての商家や教会、時計塔が残っています。シビウを彩る中世の面影は訪れる人を魅了してやみません。

Information

シビウの塩

 トランシルバニア地方を代表する街、シビウ。街が発展した背景には商工業だけでなく、「塩」の存在が大きく影響しています。塩が金の価値に匹敵した時代、シビウの郊外には大規模な“塩の鉱山”がありました。当時、塩は食料の保存に欠かせない重要な存在だったのです。シビウの家々の屋根についている目の形をした窓、通称「シビウの目」。あれも実は、塩漬け肉やソーセージを保存する屋根裏の換気のために作られた通気口なんだそうです。
 シビウ郊外には、塩鉱山が今でも残っています。時代の推移とともに塩は希少性を失いましたが、今は別の恵みをシビウにもたらしています。それは「泥の塩水プール」。岩塩のミネラルがたっぷりと含まれた泥のプールです。老化防止や美容効果があると言われ、老若男女、多くのシビウ市民がここを訪れます。泥を体に塗り合ったり、泥のプールで泳いだり…。泥だらけになって楽しむ姿は少し不思議ですが、街の人たちの憩いの場所となっているようです。

グラボォさんのパリンカ

 この地方を代表する名産品の一つが、お酒の「パリンカ」。果物を使った蒸留酒「パリンカ」が有名で、プラムや洋ナシ、リンゴを原料にした物が多いようです。「パリンカ」という名は、スラブ語の「蒸留する」という言葉が語源のようで2回の蒸留を経て造られます。アルコール度数は、なんと最高60度という、とても強いお酒です。
 シビウの酒造り名人、グラボォさん(70才)の自家製パリンカは少し変わっています。酒瓶の中に蒸留酒の原料と同じ果物がまるごと入っていて、風味満点です。でも、瓶の飲み口より大きな果物がそのまま瓶の中に入っています。なんと不思議?!実は、果物がまだ木に小さく実っているうちから酒瓶の中に入れ、瓶を枝にくくりつけてその中で果物を育てていくのだそうです。そして、果実が大きくなったところで蒸留酒を入れるという手順。ユニークな作り方ですね。
 40年間、「パリンカ」を造り続けてきたグラボォさん。コレクションの中でも、1975年に蒸留したパリンカは自慢の一品で、プラムの実がまるごと8つも瓶に入っている最高傑作なんだとか。これだけは人に譲れないのだそうです。フルーティーな香りに、まろやかな味わいのパリンカ。一度、味わってみては?でも、強いお酒なので飲み過ぎにはご注意くださいね。

演劇

 交易が盛んで、外の文化に触れる機会が多かったシビウならではの名物、それは演劇です。毎年5月に開かれるシビウ国際演劇祭は、世界三大演劇祭に数えられるビッグイベントです。ちなみに、2008年には日本から中村勘三郎さん率いる一座も参加。その歌舞伎公演は大反響を呼んだそうです。しかし、シビウで演劇が盛んになった背景には、厳しい歴史がありました。
 チャウシェスク政権が独裁体制を敷いた社会主義時代、演劇への支援は皆無同然でした。しかし、シビウの演劇人は、上演が認められたわずかな数の古典演劇を徹底的に習得。その中に込められた批判精神や自由の尊さを舞台の上で演じ続けました。その結果、シビウ市民の中には独裁への反発や自由への憧れが培われたといいます。1989年12月、ルーマニア革命が勃発。シビウ市民はすぐに立ち上がり、それが20年以上続いたチャウシェスク独裁を倒すことにつながりました。当時、シビウでも激しい銃撃戦が起こり、100人近くの市民の命が失われました。街の大広場には彼らの尊い犠牲を追悼するプレートがあり、こう刻まれています。「自由と真実のために闘った人々へ」。シビウの演劇人が守り続けた精神は、脈々と受け継がれているようです。

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