これまでの街歩き

ジロカストラ/ アルバニア

2011年12月15日(木) 初回放送

語り:小倉久寛

撮影時期:2011年9月

世界地図

地図

場所

 東ヨーロッパ・バルカン半島に位置し、1980年代まで鎖国政策を取ってきた国アルバニア。ジロカストラはその南部の中心都市です。人口はおよそ4万。岩山の斜面に石造りの家々が建ち並びます。この街は20世紀初頭までの500年近くにわたってオスマン帝国の支配下にあり、トルコとヨーロッパとを結ぶ交易都市として繁栄してきました。現在でも建築や装飾、食文化など多岐にわたってオスマン帝国の影響が色濃く残っています。
 旧市街に残る城塞、家屋、市場、宗教建築物は、2005年に「ジロカストラの博物館都市」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

Information

伝統家屋

 ジロカストラの独特の街並みを形作っているのは、石造りの伝統家屋群。オスマン帝国の時代に建てられたものです。高々と石を積み上げた、まるで城のような構造。高さは10m近くあります。この伝統建築は非常に合理的な構造であるとともに、さまざまな秘密が隠されています。
 最初の秘密は、入口の門のすぐ横にある小さなのぞき穴。これは、来客を中からこっそりのぞいて怪しい者ではないか確認するためのものでした。2階は夏の部屋として利用され、とても涼しく、床下には冷蔵庫も設けられています。3階は冬部屋として利用されていて暖炉があり、一日中ポカポカ。部屋の裏側には暖炉の余熱を利用したサウナ風呂まで設けられています。そして、窓際にソファを並べた4階は贅(ぜい)を尽くした豪華な応接間。壁には一面に色とりどりの花や果物が描かれています。これは家族の繁栄と豊じょうを表したもので、18世紀オスマン帝国で流行した様式です。窓ガラスは、はるばるベネチアから取り寄せられました。また、この応接間の一角にある小部屋は、かつて女性たちがこもって来客の男性をこっそりと眺めて品定めしたという、いわばのぞき部屋。若い男女が席を同じくすることが許されなかったオスマン帝国時代の名残です。ジロカストラの伝統家屋には、街の歴史がギッシリ詰まっているのです。

イソ・ポリフォニック

 大人数のグループが複数のまったく異なるメロディを同時に歌う独特の多声合唱は「イソ・ポリフォニック」と呼ばれ、ジロカストラを中心としたアルバニア南部に古くから伝わってきました。女性が多声合唱を行うブルガリアンボイスなどとは対照的に、ジロカストラでは男性のみ。例えば8人の場合、メインボーカル、サブボーカルと低音パート、コーラスの4パートに分かれます。これらが同時に歌うと、なんともエキゾチックで情感あふれるハーモニーを奏でます。
 このイソ・ポリフォニック、この地方で交易を行っていた旅人の一団が歌ったのがルーツと言われています。少人数で旅する彼らが山賊に襲われるのを避けるため、自分たちがあたかも大人数いると見せかけようと歌ったのだとか。歌い継がれている曲はなんと800近く。それだけでなく、状況に合わせて即興で曲を作ることも。お祭りや結婚式、葬式など、人々の集う場では必ず歌われる、この街の人々の生活に根ざした伝統です。

結婚式の一日

 ジロカストラの結婚式の一日はとてもユニーク。当日、カップルがまず訪れるのはジロカストラ城。街を見下ろす高台にあるこの城で、記念写真やビデオを撮影するのが定番です。記念撮影を終えたカップルは、新郎宅へ。お祝いに駆けつけた親戚やご近所さんとともに、楽団の演奏で日が暮れるまで踊り続けます。
 ここでは、来客が必ず案内される場所があります。それはなんと新婚夫婦の寝室。花びらできれいに飾りつけられた寝室で、二人の末永い幸せと子宝に恵まれることを祈るのが、昔からの習慣です。夜は場所を移動し、ホテルの宴会場でさらに盛大なパーティーが開かれます。ジロカストラの人はみんなダンスが大好き。いろいろな種類の踊りを夜が明けるまで踊り続けます。老いも若きも男も女もみんな踊って祝う、ちょっとハードだけど最高に楽しい結婚式です。

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