これまでの街歩き

コトル/ モンテネグロ

2011年12月22日(木) 初回放送

語り:余 貴美子

撮影時期:2011年9月

世界地図

地図

場所

 アドリア海から内陸に深く切れ込み、標高1000mを超える山々に囲まれたコトル湾。その一番奥に位置するのが、モンテネグロの港町・コトルです。コトルは古くから天然の要塞都市として知られ、東西のさまざまな大国に支配されてきた歴史を持ちます。
 城壁に囲まれた旧市街の人口は、現在およそ3000。石畳の狭い路地沿いには、ベネチア支配下の時代に交易で富を得た貴族の邸宅がずらりと建ち並びます。また、複雑な歴史を反映してカトリック教会と東方正教の教会が混在するのも街の特徴です。コトルに残る歴史的建造物と自然は1979年にユネスコの世界遺産に登録されています。20世紀後半には、地震の被害や内戦の影響で大きく揺れたコトル。今は復興も進み、かつて栄えた中世の姿を取り戻しています。

Information

コトル海軍の伝統

 港町コトルが繁栄を極めたのは15世紀から18世紀、ベネチア共和国の支配下にあった時代。地中海貿易の拠点の一つとして大いににぎわいました。そんなコトルの繁栄を支えていた組織、それがコトル海軍です。コトル海軍は地元の勇敢な男たちで構成され、主にコトル湾を行き交う商船の護衛を行っていました。海賊や当時の宿敵であるオスマン帝国からの攻撃に対し、勇敢に戦い、商船を守ってきたのです。
 19世紀半ば、コトル海軍は軍隊としての役割を終え、その後は友好団体として存続しています。現在の活動は、年に一度、街の守護聖人である聖トリフォンの祭りの日に伝統の「海軍ダンス」を踊ること。大地を踏みしめる独特のステップで、一糸乱れぬ統率の取れた踊りを披露します。各自が手にする白いハンカチが船乗りたちの強い絆を表すなど、衣装や動きにはすべて深い意味があるんだそうです。

魅力たっぷりコトル湾

 コトル湾を囲む1000mを超える切り立った山々の急斜面は、海底まで続いています。湾内の水深は深いところで40mもあり、世界中の観光客を乗せた巨大クルーズ船の入港も可能にしています。
 コトル湾でもひときわ目立つのが、美しい教会が建つ「岩礁の聖母島」。この小島、もともとは小さな岩場でした。それが15世紀のある日、ここにマリア様の絵が流れ着いたことを受けて、周辺の村人が石を積んで埋め立て、島を造り、教会を建ててしまったんだとか。その後、コトルの船乗りたちは航海のたびにこの教会に立ち寄り、マリア様に旅の安全を祈るようになりました。そして無事航海を終えると感謝を込めて銀板を奉納しました。銀板にはそれぞれの旅の様子が刻まれています。嵐、海賊の攻撃、それに足の負傷など、その内容も実にさまざまです。

熱き水球クラブサポーター

 モンテネグロをはじめとする旧ユーゴスラビア諸国では、水球は昔からとてもメジャーなスポーツ。コトルのプロ水球クラブ「プリモーラッツ」は、100年近い歴史を誇ります。その強さでも広く知られており、2009年にはヨーロッパクラブ選手権で優勝したほど。サポーターたちも、試合のたびに歌や掛け声でチームを激しく鼓舞します。その様子はサッカーの熱狂サポーターたちとまったく同じです。
 そもそも水球は、別名「水中の格闘技」と評されるほど激しいスポーツ。相手につかみかかったり、水の中で蹴り合ったりするのは当たり前。コトルのチームが強いのは、世界を股に掛けた荒くれの船乗りの血が流れているからかも。
 水球は、コトルっ子なら誰でも一度は夢中になったことがある身近なスポーツだとか。サポーターたちの熱さも納得できます。

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