「“分断”をつなぐ懸け橋になってほしい」箭内道彦×NHK

NHKでは、メディアなど各界で活躍する方にNHKについてのメッセージをお聞きし、1分のミニ番組として随時放送しています。

1分のミニ番組といっても、もちろんたっっっぷりお話を伺っています。
その内容は、放送だけではもったいない!ということで、編集で泣く泣くカットした部分も含めて、全文公開させていただくことにしました。

(ご快諾いただいた話し手のみなさま、ありがとうございます!)

今回はクリエイティブディレクター/東京藝術大学教授・箭内道彦さんに、NHKについてお聞きした内容です。

感受性を育ててくれた少年ドラマシリーズ

Q:NHKの番組で特に印象に残っている番組はありますか?

たくさんありますけど、特に印象に残っているのは「少年ドラマシリーズ」(1972~83年放送)です。

今こういうドラマあるのかなって思いますけど、これは明らかに小・中学生に向けた実写ドラマシリーズで、夕方6時台にやるんですよね。

両親が仕事から家に戻ってくる前の、薄暗くなってきたさびしい時間帯に、弟と二人でドキドキしながらよく見ていました。

▶ 「少年ドラマシリーズ」とは?

多感な少年時代に、感受性を明らかに育ててくれた番組というか。ざわざわしたり、ドキドキしたり、胸が締めつけられたりで、さらに今振り返って見直してみると、すごいスタッフなんですよ。

ナレーターを芥川隆行さんが担当されていたり、多岐川裕美さんなど後に大女優になる人たちも出演されていたりと、ある種の登竜門的な枠で。

芥川隆行さん…日本におけるナレーターの草分け的存在。代表作に「水戸黄門」「必殺シリーズ」など。

主題歌もどれもすばらしくて、どの回も必ず覚えて歌ってましたね。

もちろん家にビデオなんて無い時代ですから、耳で覚えるか、もしくは小さいラジカセをテレビのスピーカーのとこに当てて録音してました。

みんなで声を出さないようにしてね。いいところで弟の声が入っちゃったりするんですけど(笑)。本当に大事に大事に見ていましたね。

ドラマのほとんどが思春期に抱く複雑な思いを描いているものなんですよね。だから半分以上は暗いドラマだったんじゃないかなと思います。

主題歌もマイナーコードですし。子供向けじゃなく、少年少女向けというのもあるんでしょうけど、シンガーソングライターが歌っていることが多かったですよね。石川セリさんが歌っていたりとか。

そしてもう1つ特徴的なのは、このドラマの原作のほとんどが図書館に置いてあるんですよ。だからドラマを見て、そのあと図書館に原作を借りに行って、原作とドラマ、二つの物語を体験する。それがセットになっていたような気がします。筒井康隆さんなどそうそうたる方々でしたね。

「少年ドラマシリーズ」はずっとドキドキしていたいっていう気持ちを思い出させてくれるものでした。ドキドキワクワクしていたい。知らないことに対する好奇心を持ち続けたい。

そういったことを毎回見事に思わせれてくれる内容で。少年少女の心をわしづかみにしていたんじゃないかなと思います。

NHKの現場にはロックの精神を感じる

Q:次の質問になりますが、箭内さんが思うNHKらしさとはなんでしょうか?

一般的に公共放送というと、堅いイメージが強いと思うんですけど、NHKの人たちと仕事すると、みんな変な人ばっかりなんですよ。

僕はロックやパンクのような精神をほぼすべての放送現場の方々から感じるんです。

NHKには、堅いイメージを俺が壊してやるんだというような思いを感じて。新しい番組や新たな視点を見つけていくんだという、そんな気概を感じるんですよね。「ロック」って言ったのは、既存の概念に収まりきらない人が結構多いなと思ったからなんですよ。

「これまでみんなが抱いているようなNHKの堅いイメージを、一生懸命守っていきましょう」なんて思っている人は誰もいなくて。

とかいって、「私はそうじゃありません」と言われたら申し訳ないですけど(笑)、でもみなさんすごく闘っていますよね。

ただ一方で世の中からは、「NHKは庶民の味方であるはずなのに、国にとって不都合なことはあまり見せない、国の御用聞きのようなテレビ局だ」みたいな言われ方をされているのを見かけます。

僕が一緒にやっている番組の人たちにはそういったことを感じることはまったくなくて。

だけど、外からそう思われているというのは、やっぱりまだ足りないというか。

もちろんNHKは国営放送ではないですから、きっとその誤解を理解に変えていく、その途上なんだろうなと思いますね。

誰も傷つけない放送を

Q:そのような風潮もあるなか、今後NHKはどうしていくべきか、どういう番組作りを目指すべきだと思われますか?

そうですね。「少年ドラマシリーズ」もそうだと思いますが、NHKの1つの特徴として、さまざまな人に向けた放送を行い、それが誰でもいつでも見ることができなければいけないということがありますよね。子どもから年配の方まで、老若男女問わず。

ただみんなが1つのものを見て楽しむという時代ではないので、それぞれの個人に対してどういうものを作っていくのかは、もちろん民放も悩んでいるところだと思います。

けれども僕が見てもやっぱり偏っているなって思うときがあって。

もちろんマスコミとして、いろんなチェック機能を果たさなければいけないという自負もあると思うんです。けれど、それによって小さな幸せを生きている人たちを傷つけてしまっている場面があるんですよね。

誰も傷つけないけど、ちゃんとメッセージを伝え続ける――。これは二律背反で非常に難しいことだけれど、それができたら、唯一無二の存在としてより意義のある放送局になるんじゃないかなと思いますね。

津波の映像を流すことの是非

Q:箭内さんは「福島をずっと見ているTV」に出演されていますが、例えば福島に対する番組作りから感じられることはありますか?

東日本大震災から10年経ちますけど、さまざまな立場でさまざまな思いを抱く人がいて、福島で暮らしている人もいれば、故郷を離れた人もいるなど、それぞれ決断を下しています。

それがどちらかの立場に対してだけの報道や番組作りになっていると感じることは、どうしても、ときどきありまして。

それぞれ一理ある両論を丁寧に併記していくといいますか。そういうことがちゃんとできたらいいなって思うことはよくあります。

ただ両方の考えを並べる番組って、内容が弱いものになっちゃいそうでもありますよね。

だから番組の中身に切れ味をつけていこうとすると、どちらかに比重を寄せてしまって、その結果偏った話に見えてしまう……。

制作側も非常に悩んでいるところだと思います。僕自身も「福島をずっと見ているTV」のMCとして、そのバランスにはいつも腐心しています。

Q:あまねく広い目線を持って制作することが大切になってくるということでしょうか。

広い目線でというと、中庸になりがちなんですけど。

伝えようとしていることに対し、例えば肯定する視聴者と否定する視聴者、両方の視点を持ちながら作れたらいいなと思います。

でもこれは非常に難しいところなんですよね。

例えば、僕が知っている福島の人たちは、毎年3月になるとテレビつけるのをやめるって言うんですよね。

津波の映像を流したりすることで、地震の怖さを伝える。それは全国の人に対しては、いつ来るかわからない災害に対する備えという警鐘になるとは思います。

だけど被災された側からすると、そのような映像を見ることは苦しいもの。

だったら見なければいいとか、見たい人だけ見ればいいと突き放すのではなくて、

その両方の思いをつなぐような番組がちゃんとできたとき、メディアにとっても、復興の新しい形、次のステージに進む瞬間じゃないかなと思っているんです。

抽象的な言い方ですみません。

分断をつなぐメディアに

Q:ありがとうございます。両極に分かれた意見をつなぐような役割を、今後メディアが担うことが大切になっていくということでしょうか。

そうですね。例えばことし東京オリンピック、パラリンピックがありましたけど、賛成反対両論あるから、フラットに伝えようということじゃなくてね。

その両論をどのように並べていくのかが、大事なんだと思います。

福島では東日本大震災以降、「分断」という言葉が多く使われています。人と人の距離を置くという意味合い含め、あちらこちらで分断が起こっていて。

だからそこで単純に「危険」というレッテルを貼るだけの報道をされてしまうと、そこで暮らしている人にとってはもうたまらないんですよね。

もちろん使命感を持って制作されているとは思いますけれど、一日一日丁寧に復興を重ねてきた時間が一気に戻ってしまうというか。

NHKが分断の溝をどうしていくのか。それをそのままに報道するのか、それとも懸け橋のような、何かそこを埋めることができるのかを模索していくのか、そういうことがとても大事になってくると思いますね。

日本人って、分断の直し方がわからないというか、まだまだ下手くそですよね。

僕も人とケンカすると、仲直りすることがあんまりうまくできずに、時間かかることもあります。そういうときに、NHKにヒントがあるといいなと思います。


「誰も傷つけないけど、意義あるメッセージを伝え、分断をつなぐメディアになってほしい──」。NHKへの思いをたっぷり語ってくださった箭内道彦さん、ありがとうございました。

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